ケアを”すること”、”されること”の”間”』を探そう! Posted on 2014年11月14日2023年11月15日 by kaida HOME >コラム>井上 由美子 氏 介護コラム 井上 由美子 氏 NPO法人高齢社会をよくする女性の会 理事 2014年3月、私は身体微不調のため15年間の教員生活に終止符を打ち、教員前の住まいに舞い戻った。さあ、心身を整えて新たな生活を始めようと意気込む私を、近所に住む昔からの親友は、料理の達人ともいえる腕前で私を応援。つまり食事の世話という「ケア」の一種を提供してくれた。互いに楽しみにしていた生活の第一歩だったのだが…。「ケアとは相手に寄り添うことが基本」とされている。だがしかし…。世話する側の大変さは想像できていたものの、される側の問題は知識でしかなかったことを思い知った。まず神経が過敏になる。世話する側のイライラは、そうでなくても自分の所為と思ってしまう。 そう、世話される側の負い目や卑屈という、「依存」がもたらす世界を実体験する羽目になった。私は長年の友情が壊れてしまう恐れから、意を決して世話になりたくない、と告げた。親友にとってそれは思いもかけない一言だったに違いない。好意でやっていることなのにと。それに対し、私の心の持ちようが問題なのに、その理由をうまく表現できない自分がいた。「ケアをすること」と「ケアをされること」の間には、計らずも「依存させる」「依存する」の関係性が立ち上ってくる。それは強者と弱者の関係でもある。 私たち日本人は「人」を表すとき、多くの場合「人間」と言う。専ら「ヒト」は生物的な場合に遣い、ヒトが人間になるためには、間、距離、関係がなければならない。だからこそ、関係のあり様が個人の生活、生き方を大きく左右する。ケアの現場は関係性の宝庫だ。ケアはいかに人間の尊厳を保つか、自立を支援するかが目的だが、目的を果たすためには、依存・共依存や強者・弱者という関係性を克服することが課題となる。とすれば、人と人の“間”に“何”をおけばいいのだろうか。私の求めるケアの「質」とはそれを探し出すことなのだと思う。 連載一覧 「地域包括ケアシステム」の構築に、ケアと自分のイノベーションを! 2015年1月13日究極の”自立支援”に、感性と人間力を鍛えよう! 2014年12月12日ケアを”すること”、”されること”の”間”』を探そう! 2014年11月14日 無料体験はこちら 資料ダウンロード