尊厳ある1人ひとりにかかわる上で必要なことは何かを考えよう
いつも思うことは、介護は様々な技術と知識が不可欠だと思うのです。
前回、人は生活背景があって、現在、目の前に存在しているのだと言うことを
意図的には書いていませんが、読み込んでいただけましたか?
「質」を問う以前に求められることは、その人のことを思う、気に掛ける、知りたいと思う気持ちが、
いかにコミュニケーション姿勢に現れているかです。
これは、介護にかかわらず、医療、保健、福祉全般に言えることです。
例をあげてみましょう。
私の弟は4月に体調に変化を感じ受診。
検査の結果、「胃がんですね。出血がひどいので安静のために即入院です」と言われ、その日から2ヶ月半、食事も水分も摂れず、点滴だけの日が続きました。
今回の東日本大震災に関する記事にありましたが“東北の人は我慢強い”と。
喜ばしいことなのかどうかわかりませんが、それが東北人のイメージだとしたら、弟はピッタリの人間です。
訴え続ける患者のところには、医師も看護師もよく見え話を聞いていましたが、週に1、2度、弟を見舞いながら気づいたことは、看護にかかわる方々が、弟を気遣う、真の体調や気持ちを知りたいと言う配慮あるコミュニケーションの必要性に気づいていませんでした。
病気を見て、人を見ない。
対応が、マニュアル化されているのかと思うほど、皆さん同じ言葉がけでした。
出血がどうにか治まったところで手術が行われました。
手術後の集中治療室では、呼吸が荒く、伝えたい言葉も聞こえないほど辛い状況が一目でわかりました。
「足の置き場がない」と小さな声で訴えます。
膝を立て、その姿勢に負担がかからないように膝の下に入れ込めるものを探しました。
ベッドの足元側で看護師さんは、術後の体調を確認し続けるために機器の目盛を見ては、書類に書き写しています。
「これを膝の下に入れていいですか」の私達の問いかけに、ようやく顔をあげて「どうぞ」と一言。
看護師さんにとっては、いつも慣れた風景なのかもしれません。
目の前にこれまでの人生を積み重ねてきた人、職場から、家族から必要とされてきた人が目の前にいるのに。
私と看護大学の教員がいた約10分、一度として、弟に声をかけてもらえませんでした。
また、弟を気に掛け、みるという行為もありませんでした。
心の中は怒りに震えていた私です。
コミュニケーションはマニュアルではありません。
かかわる人を知ろうとする姿勢、それがコミュニケーションです。
介護の根底にコミュニケーションがあって、初めて目の前の人にかかわれるのです。
柴田 範子
NPO法人「楽」理事長。
■経歴■
東洋大学ライフデザイン学科 元准教授。
NPO法人「楽」理事長。
神奈川県社会福祉審議会委員や介護福祉士国家試験委員。
1987年川崎市においてホームヘルパーさんとして勤務。1999年4月上智社会福祉専門学校の講師として教壇に立つ。
その傍ら、NPO法人「楽」を設立し、2005年4月より現職。
2004年NPO法人「楽」は川崎市内を中心に福祉・介護にかかわる事業、研修、研究、相談事業等を行っており、認知症デイサービスセンター「ひつじ雲」を川崎市幸区に開設。2006年5月には新制度の「小規模多機能型居宅介護」へ形を変え、それと同時に新たに「認知症対応型通所介護」(デイサービスセンターくじら雲)を同じ幸区内に開所
現在は、介護の質を高めたいと言う願いを持ってサービス提供責任者の実務研修に力を入れている
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