いわゆる困難事例の“困難”の意味とは

介護コラム

平岡 毅 氏

カトリック聖ヨゼフホーム 総合施設長

~誰が困り、誰が悩んでいるのか?~

 

ことに生活介護の現場では、困難ケース勉強会や困難事例検討会なるものが開催(コロナ禍にあってはオンライン研修も盛んなところ)され、自施設・自事業所内における援助や支援での行き詰まり感や煮詰まった感を打破すべく皆さん参集し学んでいます。

今回はこのいわゆる困難事例の“困難”ついて考えることとし、援助・支援の本質的な学びとわかちの機会としたいと思います。

それでは、先ず福祉・介護の実践現場で、入居者さんや利用者さんに対して、
「困った人」「わがままな人」「自己中(自己中心的)な人」という表現や言動を耳にしたことはあるでしょうか?
また自身が表現したり発したりということはないでしょうか?
平岡的には、対人援助(専門)職=福祉・介護施設等職員としては、不適切な表現・言動であると考えています。
正しくは「困っている」のは、職員さんではなく…ご本人。
その「環境(本人に影響を与える人やものすべて)に馴染めず困っている」というご本人に対して、どう支援(対応)差し上げたら良いのかと懸命に「悩んでいる…」のが職員さんである!という解釈になるのだ思うのです。

あくまで「困っている」のはご本人であり、職員さんはどうしたものかと「悩んでいる」ということです。
聞き読む限り当たり前のことなのでは…とお思いかもでありますが、施設・事業所等にて従事する職員さんにとってこの視点への気づきって案外出来得ていないのです。
しかしながら、入居者さんや利用者さんに対しての支援や介護に携わりを持つとき、この解釈や視点は欠かせないと思うのです。

もちろん、現場では少ない人数で沢山の入居者さんや利用者さんを視なくてはなりません。
とても大変で心身ともにキツイことも多々あると思います。でも、そんな時にこそこの「誰が困り、誰が悩んでいるの?」という援助や支援の本質的な解釈や視点が大切になってくると考えます。
なぜなら、私たちはお一人おひとりの「老いに寄り添い、いのちに寄り添う」という事に仕えていて、対人援助を生業(なりわい)としているのですから…。

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