三浦さんのお母さんは、自分ひとりでひじきが煮れなくなったら「終わり」でしょうか。
ヘルパーの援助を受けながら、ひじきを煮ることができれば、「終わり」にはなりません。
高齢者の生活の中には、自分が自分らしく生きていくテーマとなる生活行為があります。
その生活行為を、今日とどこおりなく行うことは、過去の自分と明日の自分を繋げる働きがあり、今日のような明日が来ること確信させます。高齢者が「生きる」とは、このような日常性の継続にあるのではないでしょうか。
ホームヘルパーには、高齢者の多様で雑多な日常生活の行為の中から、その人の、生きていくテーマとなっている生活行為を見つけ出し、すでに失われている場合は、利用者と生活の中に手がかりを探して再生させ、又は、新たに創り出していく力量が求められます。
私たちヘルパーが、利用者の「変化」という言葉を使うとき、「変化」を、なるようにまかせた結果としてではなく、「利用者の過去から明日に繋がる今日の生活行為を、利用者とヘルパーが協力して行う中で生まれてきたもの」として使いたいものです。